箱庭の日々

言われること、言うこと、言えなかったこと

何にもなれていないこと

何にもなれていないことを自覚しなければならない。

 

今の時代はテレビもあって新聞もあって、何よりネットがある。

たくさんの情報を簡単に、フィルター無し(少しはかかるだろうけど)で手に入れてみることができる。

 

そのせいで錯覚してしまうこともあると思う。

誰かの成功や体験が自分の事のように感じられるということ。

努力やつらい思いをしなくても、結果が分かるようになってしまい、そこで満足してしまう。

何者かになるのが怖くて、惨めで情けない。

何者かになってしまうと、何者でもない自分で無くなってしまい、未来が狭くなってしまうと思うから。

 

当事者ではなく、傍観者であればどれだけ楽で快適でぬくぬくしていられるだろう。

面倒なことをしなくていいし、つらい思いをすることもない。そのかわり得られるのはいびつな満足感。

自分の足りない実力を目の前で見ることも必要ない。

 

だらだら過ごして腐っていくのは心地いい。

 

とりあえず生活をすることができるからこんな気持ちでいられるのだろう。

 

なにもしないままの道か

何かをしていく道か

どっちかの道を選んでいくことが必要なのだろうか。

 

借り物の言葉で表現をすると、

「自由」というのは決して美しい言葉ではない。

・・・

自由は冷たくて寒いものだし、束縛はあたたかいが腐臭がする。

・・・

中島らも著『こらっ』より